新しいことへのチャレンジ。あるべき姿に向けて、理不尽との闘い。
社長就任時、ホテル茶春は地上6階建て・地下1階の小規模なホテルでした。団体旅行を斡旋する旅行エージェントに足しげく通って営業活動に力を入れましたが、お客様を全く紹介いただけませんでした。なぜならば、当時は団体旅行がメインであり、大きいことが良い事とされていたからです。このままでは集客できないし、勝負できるスタートラインに立たないといけないと考えました。ただし、他とは違うやり方でチャレンジしようと決意しました。ホテルを拡大するには、増築していくのが主流の時代。私は既存の建物があることで、全体の構想が崩れることが嫌でした。当時のホテルは建築してまだ15年程度しか経っておらず、償却も終わっていませんでしたが、建て直すという一大決心をしました。当時父親はこの決断に大反対で、その後もわだかまりがありましたが、「茶玻瑠」のオープン時には「お前の決断は正しい」と言ってくれました。父親は60才で他界しましたが、今でもその言葉が嬉しかったことを鮮明に覚えています。
当時の旅館・ホテルは家族経営がメインでしたが、「茶玻瑠」がオープンするタイミングで私は身内には勇退してもらいました。経営者としての自分の考えを大切にしたかったことに加えて、企業として運営したほうが、従業員にとっても夢があると思った為です。また、当時の男性中心の団体旅行から都市型の温泉郷への転換を考えていました。団体旅行中心のエージェントファーストではなく、宿泊されるお客様が中心となる顧客ファーストが、あるべき姿だと思いました。旅館は大きさに価値があり、安売り競争のパイの奪い合い。明確な料金がなく、グレーな部分も多い。部屋や料理が一緒にも関わらず、なぜ料金が違うのか。そんな理不尽なことはやりたくなかったというのが本音でした。そして、道後を地元・松山の人達に愛される街にしていきたいと本気で考えていました。地元の人達が来るには、「夜」の道後ではなく、「昼」の道後にしないといけない。そのように考えて、ランチやブライダル、宴会料理以外の選択肢の提供など、今では当たり前になっていることばかりですが、当時からチャレンジを続けてきました。
また、10年前からはアートにも注目しています。フィンランド・デザイン界の第一人者として知られている愛媛県砥部町出身のデザイナー・石本藤雄さんとは2013年に出会いました。海外を拠点にされていた石本さんでしたが、地元で個展を開きたいという想いを聞き、私が実行委員会として開催をサポートしたのがご縁となりました。その後も、茶玻瑠の内装リニューアルや、道後のイベントなども含めてお付き合いを続けています。
地域を背負う覚悟。地方活性化に向けた試金石。
今回の新しいプロジェクトですが、松山三越様から茶玻瑠に依頼したいというお話を頂いた時、評価された喜びもありましたが、受けて立つ責任感の方が強かったですね。また、松山の中心部と道後を活性化するチャレンジでもありますし、茶玻瑠の社員にとっても大きな成長のチャンスだと捉えています。日本を代表する百貨店を舞台にした挑戦ですが、デパート業界のみならず地方活性化の試金石となる取組みだと考えています。地域の良さをどれだけ引き出せるか、上質で価値ある体験をどれだけ提供できるか、簡単ではないですが、私たちなら「やれる」と信じています。
私が観光業を通して提供したいことの1つは、夢を語れることやライフスタイルを豊かにする「きっかけ」づくりです。例えば、茶玻瑠での夕食時にお気に入りのワインとの出会いがあったり、また、我々の接客応対に感動して、自社の社員教育に力を入れようと感じて頂いたりということも、「きっかけ」だと思います。また、北欧のような自分らしい生き方を大切にしており、自己犠牲ではなく、生活を楽しめる「自分の時間」を感じてほしいと考えています。そんな想いもあり、今回の松山三越でのプロジェクトには総力を挙げて取り組んでいます。